中学では野球部に入部

中学校で野球部に入部 中学時代

野球部に入部したが

小学校から中学に入ったら野球をやろうと思っていました。
小学校時代の自慢は「ボール投げ」でした。小学生の低学年の頃から一年に一度、クラス別でどこまでボールが遠くまで投げられるかを記録するものでした。特別スポーツとは言えませんが、小学校を卒業するまでクラス一番を維持しました。学年全体でも6年間トップ。

後で言われたのが”お前は地肩が強い”でした。
ボールが遠くまで投げられたからといって、野球やソフトボールがうまいという訳ではありません。でも球技は大好きでした。

私たちが子供のころ、友達が集まれば三角ベース野球をやっていました。ベースがひとつ足りないので場所をあまりとりませんし、少ない人数で遊ぶことができました。おそらくこのブログを読まれている方の中には、三角ベース野球の経験があるのではないでしょうか。

ちなみに”巨人、大鵬、卵焼き”世代ですから、巨人が大好きでした。
私の時代は巨人の長嶋茂雄がヒーローでした。テレビでは巨人戦しか放送されていなかったのも影響しているでしょう。
誰もが守備はサードでバッター順は三番を熱望。そんな時代でした。

話しが脱線しました。そう、小学校から憧れの野球をしたくて、中学に入学して野球部に入りました。私が入学した東部中学校のグラウンドは狭く、グラウンドの殆どが野球部が使用していました。

入学して一学期も終わっていないのに、他校との合併の話しが持ち上がりました。合併の中学校は浜松市立飯田中学校という、浜松では田舎の学校。殆どの学生が合併には反対していました。

東部中学校は東海道線、今でいうJR線沿いにあったいわゆる町中の学校でした。それが自慢でもありました。

どうして田舎の学校と合併なんてするんだ!そんな空気が流れていました。中学一年の三学期を待たずに合併が実行され、新校舎に移ることに。合併した学校名はそのまま東部中学校となり、ひと先ずはホッとしました。校舎は4階建ての立派なものでした。
しかし新校舎のある場所は元の飯田中学校の近く。つまり、田舎に移転したのです。グラウンドは無駄に広く、この広さが後で生徒たちを苦しめることになったのです。

校舎は立派に完成していましたが、グラウンドの整備がまるで終わっていませんでした。いつまでたっても重機が入らず、いつになったらこの広いグラウンドが使えるんだろうと、誰もが気にかけていました。ここからが全生徒の苦労が始まりました。

誰もが体育の時間、グラウンドの整備に充てられるとは誰も思っていませんでした。毎日のようにグラウンド横にあった畑から、蓑にいっぱい土を入れ、グラウンドまで運んでトンボをかけて。

延々とこの作業が続きました。
作業は中学二年になっても続き、なんのための新校舎なんだ!結局、最後の最後まで重機は来ませんでした。すべて人力でした。

グラウンドは使えず、野球ができる状態ではありませんでした。合併により野球部は廃止になりました。なんのためにこの中学校に入ったんだろう・・・・結局、野球部に入って一試合もせずに廃部でした。でも飯田中学校に以前からあったサッカー部は継続が決まり、野球部は廃部。納得ができませんでした。

やっと野球部廃部の悲しみも癒えた頃、友達がやって来て「波多野、村松先生が呼んでるから職員室に行けよ」と言い残して去っていきました。「村松先生?」、村松先生は英語の先生なんですが、私のクラスの英語の先生ではありませんでした。

村松先生は学校の中で最も怖いと噂の先生で、バスケットの顧問です。村松先生は高校時代に浜松の総番(総合番長)という噂がありました。今でいう”反社会勢力”のような風貌でした。それはそれは怖いだけのイメージの先生でした。

「そんな村松先生が俺になんの用?」
急に職員室に行くのが怖くなりました。数分後、悲劇が待っていたのです。
職員室には一度も口をきいたことのない村松先生がいた。
私は恐る恐る村松先生の近くまで進みみ、「村松先生ですか?平野君から聞いて来ました」と振り絞るように挨拶をしました。すると村松先生が、「君が波多野君か?!バスケ部に入りたいんだって? では早速、今日からバスケ部のコートまで来い」と、半ば命令口調で私に話しかけてきました。短いやり取りが終わると、「以上だ。戻っていいぞ」と、会話を遮断しました。

その日の放課後、私はバスケ部の人たちが練習をしている屋外のバスケットコートまで行きました。

バスケット部に入る

私は騙されてバスケット部に入ることになったのです。
この日までバスケなどやったことがないのに。

東部中学校のバスケ部は浜松市内でも強豪で、毎年県大会に出ているようなクラブでした。顧問の村松先生は、市内でも有名な名コーチと知られていたようで、その村松先生が教えている東部中学校は、西部地区でも名が知られいました。

何も分からないまま、私はそのバスケ部に入部したのです。しごきが待っているのも知らず。
この村松先生の教え方は、罵声と叱咤、そしてパワハラだったのです。練習中でも練習後でも部員の前でミスをした部員に、ビンタや蹴りを繰り出しました。見ている部員たちは震えあがりました。
もちろん私も餌食になりました。

バスケをやったことのない私は、当然みんなよりも下手だったので、余計にしごかれました。何度もバスケ部を辞めたいと直訴しましたが、「なんだとー!」と一括されて終わりでした。

そして夏休みの部活で問題が起きました。
それは次のブログで書こうと思います。とにかく恐怖のみ!

 

 

 

中学時代
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私は有限会社アイベックスという映像制作会社を設立。そしてバリ島に進出してウェディングのプロディースの会社、PT.BALI IBEXを設立。大手旅行代理店と提携して自社チャペルにてウェディングをプロデュースしていました。しかし、夢半ばで病に倒れ、すべてを失ってしまいました。おまけにその病により下半身不随に。現在もリハビリを続け、復活を目標に生きています。私と同じ病に倒れ、現在も頑張っている人と共有したくて、このブログを書いています。

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波多野智章、波乱万丈の66年

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