高校に入学して感じたこと
いよいよ高校に進学するときがやってきました。
どの高校がいいんだろう?どの高校に入学できるんだろう?
人生初の帰路に立った訳ですが、自分なりにわずかながらのこだわりもありました。
商業高校は行きたくない。これは小さい頃からそろばんが嫌いだったから。高校受験が近づくと、中学校でも色んなプレッシャーを掛けてきます。個人面談があり、「お前の成績だとこの辺りの高校なら入学ができる」。生徒の小さな夢なんてぶっ飛んでしまう学校からの圧力で、毎日頭の中がぐるぐる状態でした。
”俺ってこんなレベルだったのか?”と担任の冷めた言葉が、寝るまで頭から離れなかったと記憶しています。
どの街でもトップクラスの高校と、誰でも受験すれば入学できる学校があるかと思います。私は工業高校を選択することになりました。
これは兄のアドバイスで、これからの時代は車社会だから車の整備ができれば就職もしやすくなる。というものでした。
浜松市内の工業高校といえば、”浜松工業高校”と”城北工業高校”の2校がありました。選択の余地などありませんでした。城北工業高校が私の第一志望校となりました。二次志望は選択しませんでした。
まあ入れるでしょ。その程度だったと思います。担任もこの高校なら大丈夫ですと太鼓判!浜松市内では、ほぼ真ん中レベルの高校だったかと思います。特別、浜松工業高校への憧れはありませんでした。あまりにも自宅から遠かったということにしておきました。
高校はいろんな町から生徒がやって来ます。
殆ど出身中学が違って刺激的でした。ほとんど全員まだ丸坊主。でも最初が肝心とばかりに、突っ張っていた奴もいました。笑えるほどでした。ズボンがダブダブで丈の短い学ランを着てきた奴もいました。
そいつは一年ダブっていました。同じクラスですが年齢は一つ上。
以後、こいつがいつも問題を起こした男です。
こいつと同じ町で同じ中学校の後輩(私と同学年)が、違うクラスにいて、一年生の頂点に君臨しようとする悪い連中でした。
出身は漁師がたくさんいる町の出身でした。漁師のように威勢のいい男たちでした。
私の前の席に座っていた浜北出身の男。当時、浜北というと我々浜松人にしたら、”田舎モンじゃ”と勝手に思い込んでいました。でもいい奴で、仲のいい連れになっていきます。こうして徐々にクラスの顔ぶれと名前を覚えるようになり、私たちのクラスは形成されていきました。16歳というと男だったら誰もが憧れるのが『オートバイ』と決まっていました。当時の私たちの学校では、バイクの免許を取るために学校を早退していました。もちろん、学校の許可がおりてのこと。
色んなクラスの連中が窓を開け、「がんばれよー!」と声援。
喉かな時代だったなー。
私も7月の誕生日が来るとすぐに自動二輪の免許証を取得しました。
これで私の青春のはじまりです!クラスで免許を持ってる仲間とツーリングを楽しんだものです。
コメント