マージャン漬けの毎日

マージャン漬け 大学時代

マージャン漬け

思い描いていた楽しいはずの大阪での下宿暮らし。
四畳ほどの小さい部屋は、ただ寝に帰って来るだけでした。
大学での授業が終わると下宿まで速足で帰り、汗をかいたTシャツを着替えてバイトに向かう毎日の生活でした。

バイトを徐々に増やし、二つ掛け持ちなんて当たり前でした。
この頃になると下宿での食事はもう止めていました。
前にも書きましたが、それはそれは十代の男子が摂取するようなものではありませんでした。栄養バランスなんてまるで関係なし。味噌汁はほとんど具がなく薄味で、味噌汁と呼べるものではありませんでした。下宿に入った当初、一回生(一年生)の殆どが、朝食と夕食の二食食べていたと思います。気が付けば、7割ぐらいの一回生は、夕食を下宿で摂らなくなっていたと思います。当然だと思います。

私の朝食は、近くにあったタバコ屋で売っていたパンの耳(一袋50円)でした。今では見かけなくなったニクロム線が渦巻きのようになっ電熱器でパンの耳をさっと炙り、マヨネーズをつけ食べていました。そしてインスタントコーヒーが付いています。朝から欧米風でしょ。これが私の毎朝のルーティーンでした。

マージャン漬けの下宿生活

マージャンはあらゆるものを変えてしまいます。
下宿生活も半年が過ぎた頃、下宿の先輩たちの顔と名前が一致するようになってきました。さすが大学なんだと思ったのは、先輩達の出身地、大学だから当然なんですが、この下宿にも色んな出身地の先輩がいました。

広島、岡山、島根、京都、静岡、福岡、埼玉、、、etc
先輩達は故郷の方言で惜しげもなく話してくれました。
下宿の先輩ってもっと怖いイメージがありましたが、やはり芸大は心配はありませんでした。フレンドリーな先輩って言えば今時ですが、ただ単にマイペースなだけの先輩達でした。

先輩達は誰もが個性的で、人目を気にするような人たちではなかったですね。私はこの先輩達に可愛がられました。気が付くと殆ど先輩と一緒でした。下宿の中にもギターがとてもうまい先輩がいました。出身は広島。そのまんま広島弁を操る先輩でした。

この先輩とはとても気が合い、まるで兄弟のようでした。
しかしこの先輩、ほとんど学校へは行かず、寝たいときに寝て、起きたい時間に起き、下宿生活を謳歌していました。
建築を専攻していましたが、おそらく実習にも顔を出していなかったと思います。学校の専門書もどこにあるのか?部屋はまるでゴミ屋敷状態でした。でもその部屋にいるとなぜか落ち着いたものです。
この部屋で高田渡、デランⅡ、友部正人、小椋佳などをより深く知ることとなったんです。まるで加川良の『下宿屋』のようでした。
吉田拓郎が好きだった私は、この先輩とギターを弾きながら一緒に拓郎を歌ったものです。先輩はギターがうまく、色んなテクニックを教えてくれました。

ちなみに大阪芸大の一つ後輩に世良公則がいて、キンタバンドを組んでいました。テクニックなどなく、ただ派手さだけで女子に気を引こうとしてました。チェリッシュの松崎さんは、私の下宿の前の部屋に麻雀をよくやりにきていました。何度か悦っちゃんを見かけました。正直、私は高校のころマジでフォークシンガーになろうと思っていたんです。吉田拓郎が持っていたギブソンのJ-45をバイトで貯めたお金で高三の時に購入したほどでした。

芸大にはギターテクの猛者が山ほどいました。もちろん下宿にもいました。同じ学年で広島出身。彼は本当にうまかった。
基本がしっかりしていました。きれいにギターを操りました。

一度だけ一緒にギターを弾きながら歌ったことがあるのですが、開口一番、「ギターが走ってるよ」と注意されました。
「波多野はバンドを組めないよ。今までバンド組んだことないだろう!?」とグサリと刺さる言葉。以来、彼の近くでギターを弾く事はありませんでした。

私の生活が変わったのはマージャンでした。
私がバイトに行くために身支度をしていた時のこと。
隣りの棟の先輩が長い棒を使って私の外窓(ひとつしかありません)を突っついたんです。窓を開けると広島の先輩が、「おー、タクロー、麻雀やろうや」と誘ってきたのです。この頃すでに下宿では「タクロー」と呼ばれていました。

私は”今からバイトに行く”と告げると、「何時に帰って来るんじゃ?」と広島弁。「12時回ると思う」と返すと「わかったけん」と納得するように部屋に入っていきました。

私はバイトに出かけました。そして夜中の12時を回ったころ下宿に帰ってきました。部屋の灯りを点けるなり、窓ガラスをこつこつと突っつく音がしました。「先輩だな!?」と窓を開けると、「タクローをまっとたんじゃ」の声。すると「はよ、こんかいや」

そうです。先輩はマージャンをやるために私の帰りをまっていたのです。なんということか、、、、、
部屋に行ってみると先輩三人がマージャン卓を囲んで座っていたではないですか。「よっ!お帰り。さー。やるでー!」

私はこの声で倒れそうになりました。今の今までバイトをやってきて、残り風呂のお湯をかけて寝ようと思っていたのに、この人たちはその私を待ってマージャンをやろうとしていたんです。
ブッタマゲました!!これが地獄の一丁目だったとは。

 

大学時代
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管理人
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私は有限会社アイベックスという映像制作会社を設立。そしてバリ島に進出してウェディングのプロディースの会社、PT.BALI IBEXを設立。大手旅行代理店と提携して自社チャペルにてウェディングをプロデュースしていました。しかし、夢半ばで病に倒れ、すべてを失ってしまいました。おまけにその病により下半身不随に。現在もリハビリを続け、復活を目標に生きています。私と同じ病に倒れ、現在も頑張っている人と共有したくて、このブログを書いています。

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波多野智章、波乱万丈の66年

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