大学進路に暗雲

大学進路に親父反対 高校時代

親父が許してくれない

高校三年の春休みを過ぎた頃、私はこれからの進路を固めつつありました。私の頭の中には、高校を卒業してエンジニアになるという気持ちは完全に消えていました。もともとエンジニアになりたかったのか?それさえも疑問に感じていました。

将来はメディアの仕事がしたい。その気持ちがどんどん膨らんでいきました。だからといって具体的な構想はなく、とにかくメディアの知識を蓄えたい。浜松を出て勉強がしたい。

親父の口癖は「男だったら頭になれ!サラリーマンなんかになるな!」でした。小さな頃から、この言葉はいやというほど聞かされました。小さな会社の社長でも店のオーナーでもいい。とにかく人に雇われるな」ということだったと思います。

話しは少し飛んでしまいますが、私の6歳上の姉と結婚したい相手の方が、日本楽器(今のヤマハ)に勤めていました。いわゆる職場結婚という奴です。何度も家に挨拶に来て”恵美子さんと結婚させてください”と懇願しましたが、絶対に許しませんでした。
理由はサラリーマンだったということだけ。最後は親父も折れて結婚を認めましたが。

つまり、何を言いたかったかというと、それほどサラリーマンになるな。自立せよ!ということ。

受験のことで父親とぶつかる

そんな頑固な親父が”芸大”なんて許してくれる訳がありませんでした。このことは予想もしないほど、クリアできませんでした。

「芸大?なんだそりゃ!」、、、、
「ピアノの先生になりたい人やデザインの勉強したい人が行く大学だよ」と、一番わかりやすい情報を親父に話したんですが、まるで理解しようとはしませんでした。

親父は、「お前は早稲田とか慶応とか行けなのか?!」と、とんでもないことを言い出す始末。当然、そんな六大学に入れるほど頭がいい訳でもなく。とにかくこの話をすると機嫌が悪くなりました。

おそらく”芸大”というワードは、親父の年代には無縁だったと思います。でも親父を説得しない限り、私の大阪行きは叶わなかったのです。
もう説明するのも面倒になっていた時、兄が助け舟を出すのです。
親父が晩酌をしている時、兄が親父に、「トモに大学行かせてやってくれよ。入学金は俺がだすから」と,ビックリするような言葉が飛び出しのです。
結論として、兄が出してくれる入学金で大学入学は許してくれるとのこと。しかし、授業料は自分で払え!と、むちゃくちゃなことを切り出してきました。

二進も三進も行かなくなった私は、その条件を受け入れました。
あとで分かったことですが、入学金はおふくろが工面してくれていました。これには泣けて来ました。

あとは受験勉強を頑張って受験に備えるだけです。
ほどなんく受験は成功したのですが、授業料のねん出に想像以上、苦労したのです。授業料や下宿代を払うために、バイトを掛け持ちしなければならず、勉強どころではなかったのです。
こうして私の大学生活は荒波へと漕ぎ出して行くのです。

 

高校時代
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私は有限会社アイベックスという映像制作会社を設立。そしてバリ島に進出してウェディングのプロディースの会社、PT.BALI IBEXを設立。大手旅行代理店と提携して自社チャペルにてウェディングをプロデュースしていました。しかし、夢半ばで病に倒れ、すべてを失ってしまいました。おまけにその病により下半身不随に。現在もリハビリを続け、復活を目標に生きています。私と同じ病に倒れ、現在も頑張っている人と共有したくて、このブログを書いています。

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波多野智章、波乱万丈の66年

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